繊細な人と子育て(反応閾値という考え方)

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子育て/療育情報 | 2019年07月27日 | 4,460 views | Posted by harnya

はーにゃです

 

今日は結局最後までスマホの話、

出てきません。。

出そうと思ったけど出なかった(笑)

だけど書かせてくださいませ。

 

と書いて投稿しましたが、

翌朝ちょっとITの話し追記しましたよ(笑)

 

【反応閾値(はんのういきち)】

 

私は常々
人が行動する上での
「反応閾値」がみんな違っているということを忘れないように心がけています

 

反応閾値って耳慣れない言葉ですか?

 

働きアリのお話しが有名ですね。

働きアリの集団がいたとします。

 

働きアリですから

みんな「働いてる」と思いますよね。

実は観察していると2割のアリだけが懸命に働いている。

あとの8割は働かないそうなんです。

 

そしてその2割が疲れて休むとほかの8割の中からやっぱり「2割」が

「仕方ない そろそろやるか」

という感じで動きだすそうです。

 

では 「良く働く2割のアリ」 を一か所に集めたら みんなで働くのか?

それも違って やっぱり2割のみが 働きはじめるのだとか。

 

これは

「さぁやるか」

っていう

「腰の軽さ」の度合いがものをいうそうなんですね。

 

その集団の中での腰の軽い2割が先に働いてくれたら
他のアリは休んでる。。。ということ。

 

この 「腰の軽さ度合い」 が 「反応閾値」です

 

ヒトに置き換えたら どうでしょう?

いつも自分ばかりいろいろと動いていて理不尽だ と

感じる方、もしかしたらこの話の

2割のアリなのかも?

テーブルの上が汚れていたら?

それを拭きたいと思い、
実際に拭くまでの時間が、
人によっては3秒だったり
1時間だったり
全く気にならずずっと拭かない人だって

いるでしょう

 

 

そういった行動を起こすまでの時間(閾値)が違う

と言うことをお互いが認識するだけで

世の中はずいぶん平和になるだろうと思っているんです

 

 

あの人は皿洗いを絶対にしてくれない 
いつも私ばかり

と思っていても

あなたは30分以内に洗わないと気持ち悪いかもしれないけど、

実は「あの人」は40分なのかもしれない。

あなたが30分以内に洗うから
「あの人」が洗おうと思う瞬間がいつもやってこないだけかもしれない

 

食事が終わって3分で洗わないと気が済まない人と

翌朝洗っても平気な人の閾値はかけ離れているわけです。

 

理解しあわないと共存することも難しくなるのが容易に想像できますね。

 

 

「うちの子は『早くしなさい』と言わないと絶対に準備がすすまない」

という人も

 

あと3分放っておいたら
自分から大急ぎで準備して結局間に合うように自力で準備できるかもしれない
(私タイプ笑)

 

人助けだってそうで、 困っている人がいたら 
自分はすぐ声をかけて助けるのに、他の人はだれも助けようとしない

みんな薄情だ

と思ったとして、

「ひとを助ける」という行動に移すまでの閾値が

その場にいたひとの中であなたが一番短かった だけかもしれない

どっちが正しいということじゃない

そんなことを良く考えていました。

 

なんだアイツ!あいつはダメなやつ!嫌い!

なんじゃなくて、私とは反応閾値が違うだけ。

 

もちろん、時間制限があることに関しては

「反応閾値」よりも早く行動してもらわないと

困ることもたくさんあると思います。

 

でも相手が一緒にいたい人なら正直に伝えて

反応閾値の妥協点を一緒に考えればいいんだ。

自分の限界点から大きくはずれて妥協点を見つけることが難しいとか、

どちらかが我慢してばっかりとか、お互いが苦しくなるような人とは離れればいいんだ。。

 

それが「みんな違う」ということなんだと思うのです。

 

電車の中で音漏れしながら

ヘッドホンやイヤホンで音楽を聴いている人を見かけても

 

「マナーがなってない」

って憤慨するんじゃなくて

 

「この人はこのくらい大音量にしないと電車に乗るのがつらいのかもしれない」

と思うと漏れている音なんて私は気にならなくなります。

 

だってそもそもシャカシャカ聞こえてるだけで、大音量で漏れてるわけじゃないし。

でもそのくらいの音でもとても嫌な気分になる「反応閾値の人」もいるわけですよね

 

 

ファミレスやカフェで仕事しているとき、

隣の親子連れのお母さんの機嫌がどんどん悪くなり、

ガミガミと子どもを叱りながら食事をはじめたら
(結構よくある光景ですよね)

 

「この人はこんなにたくさんの人がいる場所でも平気でこんな感情をばらまけるほどの反応閾値なんだ」

と思えるようになりました。

 

その時は、その人の怒りの感情の影響を受けたくないので

自分が席をできるだけ遠くに変えてもらうようにするし、

満席なら早々にお店を出ます。

ここで自分もイライラしたらそのお母さんの怒りの感情、

まるっと もらっちゃうことになっちゃうので、そこはお持ち帰りしませんちゅー

 

繊細な方は、この反応閾値がかなり低い(短い)方が多い気がしています。

アンテナの感度が高い高い

 

まわりの変化にすぐに気づく

 

だから周りの感情にも影響されやすい

 

そういう方が施術を受けに来られること、すごく多いんですね。

アンテナの感度のつまみ、、、ないんですよね。。

いつもマックスの感度で暮らしていらっしゃる

 

だから心身ともに疲れやすいのだと思います。

 

それってiPhoneなどの設定で
Wi-FiやBluetooth、AirDropなど使ってない機能なのに常にスイッチONになってるみたいなもんです。

特に活用するわけじゃないのに電波を拾い続けている。

バッテリーすぐ消費しちゃう。

 

それを

「あなたは気にしすぎ」

というのも無理なんです。

だって自由にWi-FiのスイッチON、OFFできる非繊細さんとは違って
Wi-Fiの設定スイッチ動かないんです。

「だったら、自分が使うWi-Fiだけひろって他はひろわなきゃいい」?

そんなことも もちろん無理だし、逆に

「もうちょっと気を遣ったら?」

っていうのもスイッチOFFになってる人にいっても

「いや~~どんなに耳を澄ましてもWi-Fiの『音』聞こえません」

ってなりかねません

 

じゃ、Wi-Fiのスイッチが動かないことを嘆いて暮らすのか?

それならバッテリー持ち歩いてこまめに充電するか
アンテナ止めたいときはフライトモードにするか、電源切ればいいわけです。

 

動かしようがないことを嘆くのではなくて

「工夫」する

それがアナログでもITでもいいわけです。

何も手立てがない状態よりも

一緒にいられないくらいの反応閾値の違いが埋まることだってたくさんあります。

 

 

昨日、書きなぐったこのブログ今朝読み返して、このWi-Fiのくだりを

追記しました。

やっとITにつながりましたww

そしてね。。。

 

感度の高すぎる方、まわりの感情に影響されたくないからの

「さきまわり」

が多くなってしまいがちだと思うのです。

 

「子どもの困った顔を見ると自分もつらくなるから手伝っちゃう」

「この人が動きはじめるまでの時間が自分には耐えられないから先回りしてやってあげちゃう」

 

そういう状態だと何が起こると思いますか?

 

「ハンカチを落としたらすぐにひろってあげる」

「学校に行く前は荷物の準備など全部手伝ってしまう」

「失敗しそうなことを見守ることができなくて失敗しないように、頼まれてないのに助けちゃう」

「失敗を見ると自分も失敗した感情に影響されて怒ったり極端に悲しんだりしてしまう」

「本人は多少イライラしながらでもじっくり取り組んでいることも やってあげてしまう」

 

これ、甘やかしや優しさと混同されやすいと思うのですが

多分、お母さんの反応閾値が低すぎるんだと思うんです。

 

子育てにおいて、私も

「私はこのタイミングでこうしてほしい」と思う願い?を

「しつけ」と切り離して手放すことができたら、驚くほど楽になりました。

 

「しつけ」ってこっちの思い通りに行動できるようにすることでも、支配することでもない。

漢字だって身を美しくする「躾」ですもんね

 

子どもにだって当然「自分のタイミング」がある。

そして子どもは自分のタイミングを自分の思いとその時点での経験から学んでいく過程にあるわけで。

失敗たくさんしたらいいんですよ。

私がそうでした。

めっちゃ忘れ物多い子でした。

今でもだけど。

 

でもたくさんの失敗が何を育てたかというと

「失敗からリカバリーする力」でした。

「レジリエンス」「エンパワメント」

異常に磨き抜かれています(笑)

 

去年、次男と北海道旅行に行ったとき

旭川空港に到着して、空港のレンタカー屋さんに直行し

予約していたレンタカーを借りようとしたら

とんでもないことが起こりました。

 

財布の中に「運転免許」が入ってないんです。

 

・・・・・・

・・・・・

 

ええっと、、、もう一回探しますね

 

 

・・・・・・

・・・・

 

ええっと、、、もう一回探しますね

 

・・・・・

・・・・

 

う~~~ん、どこにもない。

 

 

この旅行の移動、すべて車の予定だった。。

 

ええっと。。。。。

 

次の瞬間、私の頭の中をかけめぐったのは

 

「車なしで旅行を終える方法探し」でした。

 

行先はTEDのお話しで有名な植松務さんの

「植松電機」

電車もバスも使えない場所です。

(後日談 その時慌てて検索して見つけられませんでしたが、実はバスで、近くまで行けるそうです)

 

電車で行けるところまで行き、バスで更に目的地に近づき、あとはタクシー

 

次男には書いて見せて、予定変更を一緒に考える

 

よし行ける!!!

大丈夫、私たちちゃんと楽しい旅行できる!!!!

 

と確信したとき、免許が見つかりました(爆

 

でも免許が見つからなかったらなかったで、

きっと楽しい旅をしていたと思います。

 

これは私が大家族の中で育ち、

放任気味に育てられたかただと思っています。

 

うちの親はハンカチ落としたって、拾ってくれないし

食べたおやつの袋をごみ箱に捨ててはくれないし

学校にもっていく荷物をチェックはしてくれないし

プリント出さなくても文句もいいませんでした。

友達とケンカして相手をケガさせて、

相手の親が怒鳴り込んできた後も

私には特に何も言いませんでした。

 

それはすべて親の反応閾値が高かったからです。

大家族だったから、ひとりひとりに細かく反応する余裕なかったんですよね。

 

相手が失敗して、そこから学ぶこと、その後の行動

全部、その人の体験。

 

それを

「自分も見てるとつらいから」と

体験ごと取り上げてはいけないと思います。

それは愛情ではないですね。

繊細なセンサーの感度、高いのは全くもって悪いことではない

悪いわけない

繊細な人の繊細な思いやり

繊細な人の丁寧なコミュニケーション

繊細な人のほれぼれする仕事っぷり

繊細な人のブログなんてすごいですよね。

 

私みたいにこんな書きなぐった投稿しませんから。

相手が読みやすい工夫が満載です。

すばらしいこと、本当に多いです

 

でも、自分で自分が繊細であることを知って、

その上で

「反応閾値」がみんな違う と 思えるようになると

ラクになる場面も多いと思うんですよね。

「繊細な気遣い」と不安を解消するための「先回り」は違うんですよね

 

がんばる

ではなく

がんばらなくてもいい工夫

 

自分の反応閾値と違いが大きすぎる人と共存が難しければ距離を取ればいい

私も、自分が相手に嫌われることがあったり、

離れて行ってしまう方がいたりしても、

自分がその人の反応閾値から大きくはずれてただけなんだって思えるようにもなりました。

 

だからこそ発信を続けている面もあります。

 

「私はーにゃはこんな人です」って

 

すぐに忘れものをしたり

ケアレスミスが多かったり

コミュニケーションもおおざっぱ

そして失敗を反省しないチュー

 

そこが気楽と思ってくださる方もいれば

「私は無理」

と思う方がいるのも当たり前なんですよね。

 

丁寧な人だと思って近づいたら、全然ちがって嫌な思いをした

 

っていう経験を相手にさせてしまうことを極力減らしたいから

あえて こういうことも書くようにしています。

 

でもそこに「嫌って排除する」 は入ってほしくないです。

自分の反応閾値と大きく違う人を 何の歩み寄りもせず、
距離を取って離れることもせず、「排除」はしてほしくないです。

 

「棲み分け」と「隔離・排除」は違うのです。

 

やはり震えるほど怒りを感じることもありますね。
一番は障害のある方の人権を踏みにじられるような発言を聞いたり行動を見た時。

こればっかりは見過ごせません。

特に声を出して抗議することもできない人達への言葉の暴力は。

 

普段「好きはいくらでも」「嫌いは何回も見直して、絶対書きたいのか?を考えてから投稿する」と自分の中で決めているネットの世界でも、やっぱり書いてしまいます。

もちろん一旦「反応閾値が違うだけ?」と自問するようにしていますが、

「嫌い」「ダメな人」

なんじゃなくて、「私はこういう発言や行動は許せない」と意思表示する気持ちをこめて。

 

根底に深い差別の意識がある人は分かってしまう。
自分も昔はきっとそうだったから。。
チクチクするんですよね。

 

今も私の反応閾値よりもずっと反応が早い友人から

明日の出張の電車のルートについてLINEがきました。ありがとう!

 

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