ICT時代の学習における「合理的配慮」「平等」とは

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子育て/療育情報 | 2012年05月26日 | 14,608 views | Posted by vochkun

 5月19日にこどもの城でおこなわれた東京都自閉症協会主催のセミナーに参加してきました。

 前半のプログラムは、東大先端研の中邑賢龍氏による講演「ICT時代の自閉症の教育・生活とは?」、後半は同じく東大先端研の近藤武夫氏によるワークショップ「iPadを体験してみよう」がおこなわれました。

 とても刺激的で素晴らしい内容のセミナーでしたので、そこで私が学んだこと・感じたことを何回かに分けてブログにまとめていきたいと思います。

スポーツの世界における合理的配慮

 皆さんは南アフリカの陸上選手オスカー・ピストリウス選手をご存知でしょうか? 中邑さんの講演の中でよく紹介される人物です。

 両足にカーボン製の高性能義足を装着したスプリンターで、100mの自己ベストは10秒91とのこと。得意種目の400mではオリンピックの標準記録をクリアしており、もしかしたらロンドンオリンピックに出場してくるかもしれませんね。

 オスカー選手のオリンピック出場をめぐっては、カーボン製の義足の推進力が問題となり、国際陸上競技連盟(IAAF)が「オリンピックへの出場は認められない」との裁定を下すも、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が一転してその判断を覆すなど、世界中で大きな議論が巻き起こっています。

 皆さんはオスカー選手のオリンピック出場はアリだと思いますか? それともパラリンピックに出場すべきでしょうか? もし仮に現状はOKだとしても、将来的に義足の性能が上がってきたらどうでしょうか?

 これはなかなか微妙で難しい問題だと思います。

 もう少し極端な例を出してみましょう。「車いすマラソン」という競技をご存知でしょうか。その名のとおり、車いすに乗り、腕の力だけで42.195kmを走り切る競技です。

 では、もし車いすマラソンの選手が「オリンピックのマラソン競技に出場したい」と言い出したらどうでしょうか。

 これはさすがに認められないのではないかと思います。それは何故かというと、脚力と持久力を競うマラソンに対して、車いすに乗って腕の力で走る競技では、測ろうとしている能力の基準がまったくズレているからです。

 ちなみに、車いすマラソンの世界最高記録は1時間20分14秒だそうです。一般の人がいっしょに走っても誰も勝てませんね(笑)

教育現場における合理的配慮

 では次に教育現場に目を向けてみたいと思います。

 今年の2月にこんなニュースがありました。

朝日新聞デジタル:書くのが苦手、発達障害の20歳合格 鳥取大、PC使う

 字を書くのは苦手だが、パソコン(PC)を使えばスラスラと文章を書ける。発達障害のある受験生が、入試でパソコンの使用を認められ、鳥取大地域学部に合格した。受験を諦める障害者が多いと言われる中、「画期的」と評価する声があがっている。

 受験にパソコンの使用が認められるのは、日本ではまだまだ珍しいケースです。それは「漢字変換が出来るパソコンを使うのはズルイ」という意見が根強いからです。

 これに対し中邑さんは「いまどきの一流大学が漢字の問題を受験に出すこと自体、時代遅れ」と言い放ちます。大学受験では、大学に必要な人材、つまり研究に必要な能力を判断基準にすべき、ということですね。

 朝日新聞の夕刊には、パソコンでの受験を認めた鳥取大の学科長のコメントが掲載されていました。

「小論文は思考力や論理展開の力をみる試験。漢字変換の問題は、優先順位が低かった」

 これこそまさに「合理的配慮」の一例だと思います。

 合理的配慮の定義については、文部科学省のこちらのページに次のように書かれています。

「合理的配慮」とは、「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」

 わかりやすい言葉で置き換えるならば、「著しく不公平であったり、無理難題はダメだけど、それ以外に関しては出来る限り本人の能力を発揮できるよう配慮していきましょう」という感じでしょうか。

 認めるか認めないか、その線引きをどこに置くかを考える上では「教育の本質とはなにか」が問われるのだと思います。

 蛇足ですが、一種の社会問題にもなっている「モンスターペアレント問題」ですが、彼らの主張の多くは無理難題であるため、合理的配慮には当たらないと思ってます。

日本で「合理的配慮」を浸透させるためには

 東大先端研によると、米国では高等教育(大学など)に通う全学生1915万人のうち、障害がある学生は207万人と1割を越えているのに対し、日本では全学生321万のうち7100人と、わずか0.22%に留まっているとのこと。

 米国では教育機関に対して障害に合わせて配慮するよう法律で義務付けられており、試験における代筆・代読(介助者またはコンピュータによる)、時間延長などが広く認められているそうです。

 日本では2011年の障害者基本法改訂によって「合理的な配慮がなされるべき」と明記されたものの、教育現場における明確なルール作りは、まだまだこれからといった段階です。

 また、学習障害の一種であるディスレクシア(識字障害、読字障害)がある人に有効と言われている DAISY形式のデジタル教科書についても、米国では幼稚園から高校まで広く浸透していますが、日本ではその存在すら一般には余り知られていません。

 中邑さんは「感情論で訴えるのではなく、障壁となる要素を理論的・科学的に一つ一つ潰していく地道な努力が必要」と述べていました。

 学習や試験における合理的配慮については、下記のページに詳しく書かれていますので、興味のある人は参照してみてください。

教育現場における「平等」とは

 障害の種類や程度は人それぞれ違います。なので配慮する内容も人それぞれ違うものになるはずです。

 残念ながら学校の先生の中にも、そして私たち保護者の中にも「平等」という言葉を間違って捉えている人が多いように思われます。

 障害がある人たちを平等に「扱う」のではなく、平等な「機会を提供する」社会を目指していきたい。

私はそう考えています。皆さんはいかがでしょうか?

 合理的な配慮によって、障害がある人が本来持っている能力が十分に発揮され、平等にチャンスを与えられる社会になることを願ってやみません。

この記事を書いた人:
Naoya Sangu @vochkun

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