教育とゲーミフィケーションのはなし 「教育は強制であるべきか」について

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子育て/療育情報 | 2012年02月21日 | 15,843 views | Posted by vochkun

 先週の土曜日にリクルートメディアラボで開催された「ゲームのちからで世界を変えよう会議」に参加してきました。

 NHK出版より刊行された「ゲーミフィケーション <ゲーム>がビジネスを変える」の著者である井上明人さん(国際大学GLOCOM)や魚岸智弘さん(株式会社ゆめみ)らによる国内外の事例紹介やトークセッションなど盛りだくさんの内容でした。

 特にトークセッションでは、MC役の久保田大海さん(NHK出版)がTwitterをリアルタイムに活用しつつ、登壇者と参加者を巻き込んだエキサイティングなディスカッションの場になりました。まさにこれこそゲーミフィケーション!という感じで、非常に面白かったです。

 詳しい内容については、参加者の方がTogetterにまとめてくれてますので、詳細はそちらをご覧ください(手抜き!)

 第2回も開催されるようなので今後の展開が非常に楽しみです。

ゲーミフィケーションとは何か

 最近、ネット上では「ゲーミフィケーション」という言葉がバズワードになりつつありますが、一言でいうならば「なんらかの課題を解決する際に、ゲーム的な要素を応用すれば、もっと楽しく、もっと没頭できる仕組みができますよ」という感じでしょうか。

 ここでいう「課題」とは別に環境問題のような壮大な社会課題に限ったものではなく、「禁煙したい」とか「ダイエットしたい」といった身の回りにあるちょっとした課題も含まれます。もちろん、マーケティングやプロモーションなどビジネスの分野にも活用範囲は広がります。

 ちなみに、ゲーミフィケーションは従来よりある「シリアスゲーム」と混同されるケースが多いので少し注意が必要です。シリアスゲームは「なんらかの課題を解決することを目的としたゲーム」なので、提供される形態はあくまでパッケージ化されたゲームとなります(いわゆる「知育ゲーム」や「エデュテイメントソフト」もこれに含まれる)

 ゲーミフィケーションは適用範囲が広いので、「シリアスゲームは、広い意味でのゲーミフィケーションの一種である」とも言えますが、一般には区別して取り扱われることが多いようです。

 ゲーミフィケーションとシリアスゲームの違いについて、井上明人さんの著書「ゲーミフィケーション」に明快な説明がありますので、ここで引用させてもらいます。

「シリアスゲームは社会のさまざまな問題をゲームの中に持ち込むことだが、ゲーミフィケーションはゲームを社会のさまざまな場所に持ち込むこと」

 こう考えると両者の違いが明確になりますね。さらに詳しく知りたい方には下記の書籍が参考になると思います。どれもオススメです!

ゲーミフィケーション―<ゲーム>がビジネスを変える
シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム
ゲームニクスとは何か―日本発、世界基準のものづくり法則 (幻冬舎新書)

 

教育は強制されるべきか

 冒頭に書いたイベントのトークセッションにおいて、なぜか私が指名されまして「教育とゲーミフィケーション」について意見をいう機会をもらったのですが、突然の指名で咄嗟にうまく表現できなかったので、ここで改めて書かせてください(笑)

 少し前にネット上で「教育」について熱い議論がおこなわれていたことをご存知でしょうか。発端となったのは「もしドラ」の著者・岩崎夏海さんの次のブログ記事からです。

 とても興味深い記事なので時間のある方は是非読んで欲しいのですが、かい摘んで言うと、乙武さんが「教育は生徒の個性や自主性を重んじるべきだ」という考えなのに対して、岩崎さんが「教育とは強制であるべきだ」と真っ向から反論している構図となっています。

 皆さんはどのような感想を持たれましたでしょうか? 例えば、もし自分の子供が「宿題やりたくない」とか「勉強がつまらないから学校に行きたくない」などと言い出したら、親としてどう対処したら良いのでしょうか。

 これは非常に深いテーマなので、いろいろな意見があると思います。

強制しつつモチベーションを高める方法はあるか

 岩崎さんの投稿は少し極端すぎると感じる部分も多々ありますが、私は「教育は強制すべき」という考えには基本的に賛成の立場です(ちなみに記事の前半部分の「不自由な状況下であるほど豊かな発想が生まれる」というのは、まったくもって禿同です)

 学校教育には 1)躾や礼儀、法律など社会ルールを学ぶ部分と、2)国語や算数など各教科の勉強をおこなう部分の2つの側面があります。

 1)の部分は、誰しもが身に付けるべき最低限のお約束事として、強制的にでも教える必要がありますし、これに関してはおそらく乙武さんも同じ考えをお持ちなのではないかと思います。

 で、2)の勉強の部分ですが、これについても私は強制的に教えるべきだと考えています。ただ、それは「勉強しなさい!」と闇雲に上から命令する方法ではありません。誰しも「無理矢理やらされてる」と感じた瞬間に意欲が大きく削がれてしまうはずです。

 そうではなく、子どもが自分で選択したと「錯覚」させる仕組みが必要だと思っています。その仕組みこそがゲーミフィケーションではないかと考えています。

 ゲーム好きな人であれば、時間が経つも忘れて何時間でも夢中で遊んでしまった経験があると思います。私自身もゲーマーなのでよく分かります(笑)。この極度に集中した状態を「フロー状態」と言いますが、これを上手く学習に結び付けられれば、大きな効果を得られるはずです。

 これはなにも「授業のなかでゲームを使え」と言ってるわけではありません。生徒が興味を持つような授業をしようと思ったら、それは自然とゲーミフィケーション的な手法に近づいてくる、という考えです。

 例えば、立命館小学校の深谷圭助さんが提唱する「辞書引き学習法」もその一つです。TVでも話題になったので、付箋だらけになった辞書の映像をご覧になった方も多いと思います。

「付箋はあくまで学習意欲をわかせるための手段のひとつなのです。調べた量が目に見えることで、友達と競い合ったり、学んだ単語が蓄積されていく様子が楽しかったり、積み上げていくことが苦にならず、ゲーム感覚に近いものがあります。勉強している子どもの学習意欲を促す導き方のひとつとして、付箋は多いに役立ちます」

10歳までに決まる!頭のいい子の育て方|辞書引き学習法とは?

 まさにゲーミフィケーションそのものですね。初めは「付箋がどんどん増えていく」ことが楽しくて辞書を引いていた子どもたちも、次第に「新しく発見する楽しさ」に気づき、自分から何でも調べるようになるそうです。

 つまり勉強におけるゲーム的要素は、あくまで導入のきっかけであって(外発的動機付け)、ゆくゆくは「勉強すること自体が楽しい」という内発的な動機付けに繋げていくべきだと思いますし、それに到るまでのプロセスも含めて「正しい」ゲーミフィケーションであると私は思います。

 ゲーミフィケーションの効果に「ある特定の行動に対するモチベーションを上げる」というのがありますが、その効果が高ければ高いほど、それは「強制」とほぼ同じ効果になります。そこには自由意志があるようで、実は選択の余地はないのかもしれません。

 しかも、自分から進んでやっていると「錯覚」している訳ですから、モチベーションが低下することはありません。「自分で意思決定したものは自然と満足度が高まる」という心理学の基礎がそこにはあります。

 誤解を恐れずに言えば、つまりゲーミフィケーションとは人々(自分自身も含む)をあるアクションを強いる仕組みであるにも関わらず、同時に満足度を高めるという本来相反することを同時に実現するための手法である、と言えるのかもしれません。

この記事を書いた人:
Naoya Sangu @vochkun

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