聴覚優位に視覚支援?その5(終)

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支援 | 2016年05月06日 | 12,438 views | Posted by harnya

はーにゃです
 
 
聴覚優位に視覚支援?の続きです。
 
 

 
 
聴覚優位ゆえに、自然と「音声言語のみでの育児」になり、
気づけば強烈な「指示待ち」となっていた長男。
 
 
「言われたとおりに素直に動く」
「スケジュールがなくても言われるまで待ってれば教えてもらえる」
「まわりを見て動けば大丈夫」
 
という暮らしになってしまっていました。
 
重度の知的障害があり、読み書きも苦手な長男が
珍しく学校の先生から褒められることと言えば
 
「言われた通りに動ける」
「まわりを見て動ける」
 
この2つくらいでした。
 
 
 
そんな長男が思春期を迎え、年頃の子らしく
 
「自分で動きたい」
「色々言われたくない」
 
と思ったとき、
 
彼には
 
「自分で動く」という引き出しも
 
「色々言われたくないという表現をする」という引き出しも
 
 
「皆無」でした。
 
 
自傷するしかない。
 
泣くしかない・・・
 
 
そんな長男の苦しむ姿を見てはじめた

「タブレットを使った支援」

 
今でこそICTを使った支援(特に学習に関しては)はひろがりを見せていますが
当時は情報がほとんどありませんでした。

試行錯誤しながら取り組んでいくと

私がLINEの画面に打ち込むのを前のめりでのぞきこむようになった長男

 
 
 
視覚を使うのが苦手で「見ない」と思ってたのは、
 
用意する視覚支援に
 
「こうさせたい」
 
という意識ばかりが強く、本人に向かっていなかっただけだったんですね。
 
 
 
 
ちょうどその頃、夫の
「こんな講演会あるみたいよ~」
という何気ないすすめで

マジカルトイボックスというイベントの講演会に参加。

 
 
動機は
「支援グッズを開発して起業しているお母さん社長さんのお話し」
 
だったから。
起業を考えていた私にとってマーケティング的に参考になるかも?
なんて思って軽い気持ちで参加を決めたのでした。
 
 
それが
 
おめめどうの奥平綾子さんの講演会」
 
でした。
 
 
衝撃でした!!!!
 
 
筆談のお話し、
思春期のお話し、
自己選択のお話し
 
 
なんだろう。
なぜ私はこんなにも色々アンテナ高くして、子どものことでかけずりまわってきたのに、こういう情報にまったくと言っていいほど今まで出会ってこなかったんだろう。
 
 
数日、頭の中は奥平さんでいっぱい(笑)
 
 
「いや、そうは言っても、世の中そんなに甘くないんだし」
 
「だって、うちの子、聴覚優位だし」
 
「知的も奥平さんの息子さんより全然重いし」
 
・・・
 
・・・・
 
・・・・・
 
・・・・・
 
・・・
 
 
でも、ひっかかる。
 
ひっかかる。。。
 
 
スルーしちゃいけない気がする。。
 
 
そう思っていた頃にフェイスブックで奥平さんが投稿された言葉ではっきりと目が覚めました。
 
 
 
 
ーーーーーーーーーーーーーー
 
子どもの決めたことなんてろくでもないことだと思ってる人が多すぎる
 
 
大人が決めてあげたことの方が正しい
 
なぜなら私達は健常者様で大人様
 
この子は障害者で子ども
 
そう思ってない?
 
仲間外れにしないでやってほしい
 
 
「子どもに人生返してほしいわ」
 
ーーーーーーーーーーーーーー
 
細かい言葉は違うかもしれませんが、このようなことを投稿されていました。
 
 
ぱっか~~~~んでした!(笑)
 
 
そうよ、私、
 
大人様、健常者様、親様
 
 
と思ってきたよ、確かに!
 
 
知的障害のある子の決めたことなんて聞けないよ
 
私達親が責任もって決めてやらなきゃいけないと思ってきたよ。
 
 
 
「人生を彼に返そう!!!!」
 
彼が決めていいことはなんでも決めてもらおう!
そのためにも視覚化はやはり必要だ。
 
その時の講演会で
「とりあえず色々まとめて買って帰ったメモ」
も使ってみます。
 
それがおめめどうさんの「コミュメモ」です
 
 
「見る!!!」
 
 
やっぱり私の思い込みが邪魔してた。
 
 
自分を助けてくれるものならちゃんと見る!!!
 
 
そうだよ当たり前だ。
 
 
 
メモとICTを使い分けながらの「視覚支援」がどんどんすすみはじめました。
 
 
一番私自身の気持ちの切り替えまでに時間がかかったのは
 
「やらせる」
の言葉を自分の頭から追い出すこと
 
 
どれだけやらせてきたことだろう。
 
「やらせるための視覚支援」は
「支援者や親のための支援」だ。
 
彼の決定を支える
 
彼にとっての支援になる部分に踏み台を用意するように視覚支援する
 
やるべきことがあるならそれには必ず「納得」してもらう。
そのために彼に分かるようにあの手この手で説明する
 
年齢相応の関わりをする(子ども扱いしない)
 
 
彼らとそういう関わりをするのに「丸腰」で音声言語だけでなんてありえない
 
書いたり、描いたり

書いてもらったり、描いてもらったり、

指さしてもらったり、

 
スマホの画面見てもらったり、見せてもらったり
 
貼りだしてみたり、選んでもらったり
 
入力したり、してもらったり、、、
 
 
 
他にもたくさんの気づきとともに、関わり方をどんどん変えていきました。
 
 
変わるべきはこっちだったんだ。
 
 
 
 
LINEで発信もできるようになってきた長男。
 
びっくりしたのは
口から出る言葉と打ち込む言葉が違うことが頻繁にあるということ
 
 
これは長男が投稿の許可をくれた動画です。
 
隣にいた弟が直前に言っていた「バーミヤン」の言葉が耳に残った長男。
 
「バーミヤンとロッテリアどっちに行く?」
 
と私に質問され、
 
口では
「バーミヤン」
と言っていますが、LINEでは はっきりと
一番下の行に
「ろってりあ」
 
と打っています。
 
 
彼が行きたかったのは
「ろってりあ」でした。
 
こういうことが本当に多い。
 
 
音声言語だけでコミュニケ―ションしていては、こういうことは
一生表現できなかったでしょう。
 
 
 
確かに長男は聴覚優位でこだわりもなかった
 
だから
 
選択活動と言ってもこだわりもない長男に選んでもらう必要を感じていなかった(親が)
 
気持ちを表現することに関しては、大体どこでも
「拒否」は「させない」に近かった。
Noを言えるようになると「主導権」握れなくなり、効率悪くなりますからね。
 
 
 
全くと言っていいほど視覚支援をしてこなかった方に
メモ帳を使ってほしいと持たせても一度も使ってくれず、、、
 
やっと使ってくれたメモを見たら
 
書かれていたのは
 
「落ち着いてください」
 
の一言だったりする
 
 
・・・・・
 
・・・・・・
 
やったことないことは私達も簡単にはできないんですよね。
 
工夫や繰り返し取り組むことはやはり必要。
 
 
 
でも考えてみれば私達定型発達の大人もバーバルなコミュニケーションだけでやりとりしているわけではなく
 
 
 
メールやメモなどの
 
「見えるコミュニケーション」
 
を使っている
 
それ以外にも身振り手振り、表情などのノンバーバルなコミュニケ―ションも多用しています
 
 
 
ノンバーバルな部分が苦手な子達なのに
 
 
空気を読むことを求めたり、
 
「おしゃべりのみ」をなぜか求められる。
 
 
 
無理でしょう。
 
 
だからって
 
「どうせ伝わらないよ」「気持ちなんて聞けないよ」って
 
あきらめる時代はもう終わったのではないでしょうか?
 
 
グッズも機器もある。スマホやタブレットはもう当たり前にある
 
 
 
 
 
世の中は定型発達の人達がやりとりしやすいしくみになっている
 
 
 
私達が彼らのコミュニケーションしやすい方法を提案して、こちらが合わせるくらいの
 
「合理的配慮」はやはり必要だと思います。
 
 
 
 
「お茶と紅茶どっちにする?」
 
って絶対口で言わなきゃダメですか?
 
LINEで
 
 
って聞くのは合理的じゃない?
 
 
 
「薬飲みなさいね」
 
という代わりに
 
「はなまる」使っちゃダメですか?
 
 
 
マックで注文は無理だろうからって
親が代わりにするんじゃなくて
メモを握りしめてレジのお姉さんに見てもらったらダメですか?
 
 
 
「そろそろ着替えて出発するよ」
 
「駅までは歩いていく?それとも自転車で行く?」
 
「お昼ご飯は何食べる?」
 
 
って口でイチイチお膳立てして言わなきゃダメ?
 
 
コミュメモ使えば分かりやすいし、自分でも書けるんじゃない?
(おめめどう「よていシート」
 
 
 
 
台風で休校になった
 
どうせお話ししても彼らにはこの状況の意味は分からないから我慢してもらう?
 
 
 
 
理由を分かりやすく書いて説明しちゃダメ?
(おめめどう どうしてメモ
 
 
病院や治療院は、待たされても何されるか分からなくても我慢するところ?
 
 
ぺったんボードやタイムタイマー使っちゃダメ?
(キートン・コム きもちぺったんボード
 
 
学校で困ったときに先生呼べないなら我慢する?
 
こんな方法だってあるんじゃない?
(キートン・コム きもちぺったんボード
 
 
 
合わない視覚支援は、視覚優位のお子さんだって見向きもしないでしょう
 
ましてや聴覚優位の子には壁紙や柄以下じゃないでしょうか?
 
 
 
 
 
あの「ぱっか~~~ん」からもう数年ですが、
長男は今でも指示待ちから抜け出せずにいます。
 
 
12年も指示待ちで暮らしたもんね。
 
 
彼に完全に人生を返すには、まだ少し時間がかかりそうです。
 
 
長い長いエントリとなりましたが、
私的には
 
「聴覚優位でも知的が重くても、視覚支援は当たり前にあってほしい」
 
と思っています。
 
 
長男の育児もそろそろ卒業が近づいています。

もう私が経験してきたことなんて、今の時代では思い出話にしかならないかな?

と思っていました。

ところがどっこい、こんな話しがまだまだ通じるらしく、記事にしてほしいというお声をちょうだいすることが多々あったのです。

 
私のセミナーに来ていただいた方はみなさんご存じですが、スマホやタブレットのお話しと同じくらい、こういうことばかりお話ししています(笑)
 
 
 
障害者差別解消法も施行されました。
 
 
これからどんどん時代は変わっていくでしょう。
 
 
障害のあるなし関係なく、すべての子供たちが
 
「黄金の子ども時代」
 
を送れるように願います。
 
 
 
これからも私らしく、発信をしていこうと思います。
 
 
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
 
 シリーズを最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ
   聴覚優位に視覚支援?その1
 
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スマホやタブレットを使った生活支援についてのこれまでの記事

 
 
 
 

 



 
 
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  • 林文博

    シリーズ読ませて貰いました、色々と勉強になりました。今回のロッテリアのくだり、マークで選択させてもロッテリアを選ぶのではないでしょうか。あらためてコミュニケーションはトータルでなければと感じた次第です、ありがとうございました。

  • 砂原 奈美子

    はーにゃさん
    本当に、書いていただいてありがとうございます。
    過日、合理的配慮について考えさせられる事がありまして。
    その時に思ったのは。
    健常者と言われる人が、障害を持った人と繋がる時、もっと障害者とコミュニケーションを取ることへ、
    この社会では一応、“便利さを多く持っている”健常者の側からこそ、様々な行動で選択肢を出しても良いのではないか?
    ということでした。

    聴覚障害を持つ義理の弟が、
    「職場では健常者が、自分に対してどう接していいのか戸惑っている事が判る。だから、自分からどんどん話しかけて行くと、健常者の側はとても安心するのが判るんだ。」
    と話していました。
    それを聞いて、健常者はなにか恐がっているかもと感じました。
    そして、健常者の側からの歩み寄りが難しいって、なぜだろう。
    と、半ば自嘲気味そして非常にもどかしさを持ちました。
    もっと、シンプルでいいと思うのですが。

  • harnya

    コメントありがとうございます(^▽^)/

    「分からないこと」は容易に「恐怖」につながる
    「恐怖」は「排除」や「差別」につながる

    と思っています。
    そのために、第一段階として「理解」が必要だし
    そしてその先の「配慮」が必要になってくるのではないかと思っています。

    ほんと、もっとシンプルに!
    理解して分かりあうための工夫をする
    だけなんですよね~

  • harnya

    コメントありがとうございます。

    長い長いシリーズ、お読みくださりうれしいです
    (⌒∇⌒)